本日の記事は、私のこれまでの経歴をお話しするシリーズの第4弾です。過去記事はこちらからご覧いただけます。
1. 『新卒時の思い出』
2. 『事務職時代』
3. 『新たなる目標』
リヨンでの語学留学を終えた私は、遂に憧れの外資系金融に入ることになりました。入社先は、今はなき(補足説明 : 2008年にドレスナーはコメルツ銀行に買収されました)ドレスナー・クラインオート・ベンソン証券会社という会社でした。
ドレスナーはドイツ系ですが、フランスの証券会社を買収していたため、当時の日本支社にはフランス人チームがあり、私はそこで働くことになったのです。
部署の7割がフランス人だったので、まるで東京の一角に小さなフランス村が存在するかのようでした。フランス語を使ってデリバティブの仕事をしたかった私にとっては、まさに最高の環境でしたね。
語学留学中、DALFという仏語資格の一番上のレベルを取得していたものの、その程度ではフランス語で仕事をするためには、まだまだ思いっきり半人前。今から思うと「よく雇ってもらえたな」という気がしなくもないですが、多少なりともフランス語ができてトレーディング・ルームの経験を持つ人材が、恐らくまだほとんどいなかったからなのでしょう。
また、外資系の日本支社で働いているフランス人は、自分自身が外国人として日本で働いている訳ですから、「日本人がまともなフランス語を話せなくても当然だ」ということを十分に理解していたのも非常に大きかったです。ちなみに、これが日本ではなく、フランス国内で純粋なフランス企業で勤めるとなると、要求される語学レベルのハードルは一気に高まるんですよね~ 。こちらで就職をした後にそのことを痛感しましたが、当時の私は、その事実に気付くこともなく、「私は遂にフランス語で仕事ができる程の実力を付けたんだ」と本気で信じていました。勘違いも甚だしいというか、年齢と経験を重ねた今、「呆れる」を通り越して「若くて自信満々で羨ましいなぁ」などと、あの頃の自分のことを思ってしまいます(笑)
あの時代のドレスナーはいかにも外資系金融、という感じで、それはそれは個性的な人たちが集まっていました。年齢層も若く、仕事の後にみんなで飲みに行くことも頻繁にあり、本当に楽しい思い出ばかり。
学んだことは数えきれない程あるのですが、私が一番感銘を受けたのは、トレーダー達は強烈に高いお給料をもらっているだけでなく、稼いだお金を何らかの形で運用し、お金にもお金を稼いでもらっていた、ということです。一人だけそういう人がいた、というのではなく、皆がそうしていました。私は普通の家庭に育ち、「勉強していい学校に入り、いい職業に就いて一生懸命働けばお金も貯まる」という一般的な考え方しか教えられていなかったので、これは衝撃でしたね。まだ20代のうちに、「自分が働いて稼ぐだけではダメなんだ。お金にもお金を稼いでもらわなければ!」ということを実践しているお手本たちに囲まれて、毎日過ごすことができたのは、とてもラッキーでした。
そんな楽しい会社生活にも、やがて終わりが訪れました。なんとフランス人チームが閉鎖されることになってしまったのです!フランス語を使って金融の仕事をすることが目的の私にとって、ドイツ系証券会社に残る理由は全く見つからず、転職することに決めました。続きはまた別の機会に、お話させていただきますね。