今日は私のこれまでの経歴をお話しするシリーズの続きです。過去記事はこちらからご覧いただけます。
前回の記事から3ヶ月以上も経ってしまいました(汗)
大学卒業後、住友信託銀行証券運用部の日本株トレーダーのアシスタントとして、憧れのトレーディング・ルームで働き始めた私。入社直後に、日本の銀行で働き続ける気持ちは消えてしまったのですが、次なるキャリアへの道筋の決め手となる出会いがありました。
私が勤務していた頃、住友信託銀行のトレーディング部門は、『アーバンネット大手町ビル』という、当時はまだ新しくて華やかなビルに入っていました。このビルの大部分は野村証券に占められていたのですが、それ以外のフロアーは住信の運用部門、そしていくつかの外資系金融機関のオフィスだったのです。
今、思い返すと笑ってしまいますが、あのビルにいた外国人トレーダー達の多くは、90年代、ピンクなど派手な色のYシャツにサスペンダーをしていたんですよ。彼らと、そしてその同僚と思われる英語ペラッペラの日本人女性達と同じエレベーターに乗り合わせると、その日本人女性達が、若かりし頃の私には、まさに言葉通り『キラキラ』輝いて見えました。
「私が目指すのは、これだ!」と思いましたね。
目標が定まったら、次は戦略(そんな大それたものではありませんが(笑))あるのみ!外資系金融で雇ってもらうために必要な事と、自分の能力や実現可能な事をじっくり考えてみました。
外資系への就職を考える際に、まず最初に思いつく必須項目は英語ですが、上智に山ほどいる帰国子女たちの英語レベルを前に、当時の私は英語に対する自信をすっかり失くしていました。そこで「英語での勝負が無理なら、他の外国語でトライしたらどうだろう?仏語なら大学時代に少々かじったことがあるし、今から真剣にやれば『トレーディング・ルームでの経験があり、尚且つフランス語が話せる貴重な人材』としてフランス系金融機関で雇ってもらえるかもしれない。」と考えたのです。
日本にいながらフランス語堪能になることは極めて難しいので、やはり語学留学をした方がよさそうだ。留学生活を成功させられるかどうかは、留学前にできる限りフランス語力を上げておかなければならない、などと、当時はあれこれ思いを巡らせたものです。
こうして「語学留学でフランス語をマスターした後、フランス語の話せる金融のプロになる」という決意を胸に、それからの2年間は週3~5回のペースで仕事帰りや週末にフランス語学校に通い、仏検準1級に合格。そして3年間勤めた住友信託銀行を退社し、リヨンに語学留学をしました。1年半の滞在中に、DALFというフランス語資格の一番上のレベルを取得し、日本に帰国しました。
そして27歳の私は、ついに憧れの外資系金融の扉を開けることになったのです。
続きはまた次の機会にお話させていただきますね。