本日の記事は、私のこれまでの経歴をお話しするシリーズの第5弾です。過去記事はこちらからご覧いただけます。
1. 『新卒時の思い出』
2. 『事務職時代』
3. 『新たなる目標』
4. 『初めての外資系金融』
楽しかったドレスナー証券(買収合併の波に飲まれ、もはや存在しない会社です)での生活も、チームの閉鎖により間もなく終わることが決まりました。同僚やパリ本部の上司を頼ってパリ勤務の可能性を探ってみたものの、どうにもうまく行きそうになかったので、日本で転職することにしました。
当時はまだ在日外資系金融の景気が非常によかったので、ヘッドハンターに電話一本入れれば、即座に次のオファーを持って来てもらえるような状況でした。そこであっという間に見つけたのが、クレディ・リヨネの投資銀行部門(現クレディ・アグリコル・CIB)の金利スワップのミドル・オフィスの仕事でした。トレーダーはほとんど全員フランス人でしたので、仕事は基本的には全てフランス語で行っていました。
金融機関の運用部門は、フロント・オフィス、ミドル・オフィス、バック・オフィスに分かれています。ざっくりと簡単にご説明させていただきますと、フロント・オフィスでトレーダーが運用をして、ミドル・オフィスではトレーダーたちの日々のP&L(どれくらい儲かったか、損をしたか)を計算し、バック・オフィスは事務手続きをする、という仕組みになっています。
フロントもP&Lを出しますが、金融機関にとって正式なP&Lはミドルが算出したものを指します。トレーダー自身が「僕はこれだけ儲けた」と出した数字が、もし現実とはかけ離れたものだったとしたら大変ですよね。隠された損失が膨らみ経営危機にまで発展する可能性もありますので、敢えて別のチームに損益を計算させるようにしているのです。
そもそも同じマーケット・データを使用していないので、フロントとミドルのP&Lは必ず異なります。そのためミドル・オフィスは日々のP&Lの動きのみならず、「フロントとミドルのP&Lの差がどのような理由により生じているか?」についても詳細に説明しなければなりません。私が入社した時、フロントとミドルのP&Lには毎日大きな差があり、しかもその差が全く説明できていないことが日常茶飯事でした。
当時の金利スワップ・デスクのチーフ・トレーダーは非常に気性の激しい人だったので、ミドル・オフィスの人たちを、いつもすごい剣幕で怒鳴りつけていました。彼からしてみれば「P&Lの計算さえろくにできない、説明できない、とはどういうことだ!無能なミドル・オフィスのせいで俺のボーナスが少なくなったらどうする!」という気分だったのでしょうが、それはそれは強烈な態度だったので、ミドルでは直近1年で既に2人の担当者が退社していました。3人目として私が雇われた訳です。
毎晩10時、11時まで残業しても、当時、使われていたやり方ではどうしてもフロント・オフィスとミドル・オフィスのP&Lに毎日多額の『説明不能な差』が出てしまいます。それをトレーダーに報告しに行くと、面と向かって怒鳴られ、誹謗中傷の言葉を浴びせられる、という生活が何か月も続きました。心身ともに疲れ切ってしまい、身長161センチの私の体重は40キロにまで落ちました。
とにかくミドル・オフィス自身が計算しているP&Lが完璧に説明できない、という事態は大問題でしたので、「これは根本的な変更が必要だ」と、私をパリ本社のミドル・オフィスに1ヵ月送りこみ、本社のやり方を参考にP&Lのレポートを作り直そう、という計画が持ち上がりました。
長くなりましたので、パリ本社への出張については次回に続きます。